健康について考えるーストレスと自然治癒力の関係

健康について考えるーストレスと自然治癒力の関係の表紙
著者
hiroshi
ジャンル
美容、健康
ページ数
37ページ
公開日
2011-01-14
人気
23ポイント
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たとえ重病にかかっても恐れることはありません。

自然治癒力が本来の実力を発揮すれば、
重病さえ立派に克服できるからです。

韓国のアンニョンピルは、現代医学に頼ることなく、
体内の自然治癒力を呼び起こして重病の結核を完治しました。

まず、彼が結核から回復した話を紹介しましょう。

ユーモアと清廉潔白な性格で知られるアン・ニョンピルは、
日本で教育を受けて韓国にもどったあと、
英語教育家として名をなしたばかりか、自然健康法の研究者として大成しました。

1913年、彼は、済州鳥のわりと裕福な家庭の三男として生まれました。

2人の兄は日本に留学中に流行していた結核にかかってしまいました。

2人とも当時の日本で最高の医療レベルにあった東大付属病院で治療を受けましたが、
そのかいもなく死亡してしまいました。

アン家は、2人の息子を失ったばかりか、彼らの治療費のために財産をも喪失しました。

三男のニョンビルが日本に来たとき、彼の親にはもはや仕送りの能力は皆無でした。

彼は新聞配達のアルバイトをしながら勉学に励んだのですが、
18歳のとき、結核の魔の手に襲われました。

咳をして血を吐いて倒れた彼は、
自分も17歳と18歳で結核で死んだ2人の兄と同じ運命にあると思ったのです。

しかし、彼の置かれた状況は、死んだ2人の兄とは違っていました。

兄たちは当時の先端医学と薬に頼っていましたが、
彼には、病院にかかることも、高額な薬を購入するお金もなかったのです。

そのうえアルバイトをやめねばなりませんでした。

絶体絶命の危機とはこのことです。

そこで彼は本を読んで、結核と戦う決意を固めました。

彼は、新聞配達店の主人が饉別にくれたお金を胸に、
暖かくて空気のよい熱海に引っ越しました。

早寝早起きを励行しました。

温泉につかって、毎日水泳を行いました。

玄米を主食とし、
サバやダイコンを味噌や醤油で煮付けておかずをつくって食べました。

この規則正しい生活を数か月続けるうちに、
しだいに、咳が止まり、血を吐かなくなりました。

死ななかったのです。

当時、最先端の治療を受けた2人の兄は結核で死に、
お金がなくて治療をまったく受けられず、
薬を飲めなかった彼は助かったのです。

新鮮な空気を吸っての規則正しい生活。

これで休養ができて体力が回復に向かったのです。

ビタミンと食物繊維の豊富な玄米を食べることで、
免疫力を高めることができました。

そして温泉で体を温めながら、水泳をすることで、
温まった血液を全身にかけめぐらせることができました。

これで結核と戦う免疫細胞が全身に行きとどくようになったのです。

脳、免疫系、内分泌系の三位一体が整い、超治癒力が湧き起こったのです。

これを血液が全身に運び、結核を完全に退治したのです。

超治癒力を呼び起こすことで重病を克服した例をもう1つ紹介しましょう。

敦子(仮名)は、B型肝炎から健康をとりもどし、現在、
オーストラリアで娘と夫の3人で元気で幸福な毎日を送っています。

結婚、出産と幸福を満喫していた彼女を不幸が襲いました。

彼女の兄弟姉妹が次々とがんに倒れていったのです。

しかも、彼女をふくめ5人の兄弟姉妹全員がB型肝炎ウイルスに感染していました。

彼女は肝炎に悩まされながら、発がんの恐怖にもおびえていました。

1番上の兄は、アメリカでビジネスをおこして成功したのですが、
やがて失敗してしまいました。

失望したあとに50歳で胃がんで死亡してしまいました。

教育熱心な姉は、2人の子どもの教育のために、
夫を日本に置いてアメリカに移住しましたが、43歳の若さで胃がんで死亡しました。

日本でビジネスに成功し、
寝る時間もおしんではたらく超多忙な生活を送っていた弟は、
39歳で肝臓がんで死亡しました。

敦子の5人の兄弟姉妹のうち3人までが、がんで若死していたのです。

B型肝炎ウイルスのキャリアである敦子は、
日本に住んでいた頃、肝臓の具合が思わしくないことから、
本を読んで知識を得て健康に気を配り、
肝臓機能を病院で定期的に検査していました。

検査の結果、
肝臓の細胞が死ぬときに放出されるGOPやGPTという酵素の値が通常よりも高いことから、
肝臓に障害が発生していることは明らかでした。

彼女はおびえ、人生について真剣に悩みました。

そして、キリストヘの信仰を深め、祈ることで心の平安が得られ、
精神的に自由になれました。

そして彼女は、食事と生活を全面的に改めました。

早寝早起き、40分間の散歩を日課とし、それまでの白米やパン食をやめ、
玄米に切り替えました。

おかずは、食肉の量を減らし、魚と野菜を中心にしました。

妻の健康を気づかった夫は50歳代前半の若さで仕事を引退し、
一家そろって彼の故郷オーストラリアに引っ越しました。

移住から3年間が過ぎて、肝炎はすっかりなくなりGOTやGPTの値は正常、
血液中からはウイルスも抗体もみつかりませんでした。

検査にはエラーがつきものなので、再検査しましたが、
それでも、結果は同じでした。

こうしてB型肝炎ウイルスのキャリアは、
一生、ウイルスを持ち続けるという医学の常識が打ち破られました。

彼女に奇跡が起こったのです。

薬をいっさい飲まずに、結核を完治したアン・ニョンピル、
B型肝炎ウイルスを体内から一掃し、肝炎から回復した敦子、
2人とも、医学常識を超えた自然治癒力を発揮して、
病気からもののみごとに回復し、健康体をとりもどしました。

アン・ニョンピルが結核を克服できた理由をあげてみると、
本を読んで正しい知識を得た、
環境のよい土地に引っ越した、
規則正しい生活、
温泉での水泳、
玄米を中心とした食生活を心がけた、
などです。

しかし、最大の理由は何か?

客観的にみれば、彼の置かれた状況は絶望的でした。

彼は、当時、死の病とされていた結核にかかっていたのです。

実際に彼の2人の兄は結核にかかり、
医師の手厚い看護のもとでさえ命を失いました。

さらに彼には、医者にかかるお金はおろか薬代もありませんでした。

多くの人はここであきらめて失望するか絶望します。

だが、彼は、勇気を奮いおこして結核と戦うことを決意しました。

ここに希望が生まれました。

この希望が脳を鋭利にし、
交感神経と副交感神経のバランスが回復したのです。

こうして三位一体が整い、
人体に備わる「特別の薬局」を目覚めさせ、
免疫系を活性化して結核菌を撃退することができました。

わたしは、彼が結核を克服できた最大の原動力は、
超治癒力を呼び覚ました「希望」であると思います。

一方、キャリアである体内からB型肝炎ウイルスが消失した敦子の場合、
彼女がB型肝炎ウイルスを撃退できた理由は、
本を読んで正しい知識を得た、
環境のよい土地に引っ越した、
規則正しい生活、
散歩、
玄米を中心とした食生活を心がけた、
などです。

アン・ニョンピルの場合と驚くほど似ていることに気がつきます。

では、彼女が病気から回復できた最大の原因は何でしょうか?

彼女の場合は、
自分もがんにかかるのではという不安に押しつぶされそうになる心を支え、
強くしてくれた信仰であると思えます。

信仰によって彼女は心の平安を得て自由になり、
前向きに生き、病気と戦う「勇気」と「希望」が得られたように思えます。

アン・ニョンピルの場合と同じように、
彼女の場合も希望が超治意力を発動させる原動力となったのです。

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